『血屋敷井戸義捐金茶会』のご報告
2011年03月22日
先日の義損金茶会のご報告です。
ブログを観て来てくださった方、声を掛けさせてくださって当日、分からない~といって連絡をくれた方
、皆さまの気持ちを詰め込んだ義損金を大切に届けさせていただきます。
そして
今回のお話をさせていただき、快くお菓子を提供してくださった、
『宗家くつわ堂』の田村さま
本当にありがとうございました。
今回の、義損金茶会の言い出しっぺの”マロン”ちゃんからのブログを張り付けさせていただきますね。
以下
******************************************
このブログで告知いたしました、20日開催の、血屋敷井戸義捐金茶会について、お約束により、これよりご報告申し上げます。
まずは義捐金と寄付してくださった人の情報から。
★義捐茶(抹茶、コーヒー、ハーブティ) 売り上げ金 49,500円が集まりました。
★義捐金は、以下の方々のご芳志により 124,730円が集まりました。
小川将信さま 10口
石川由美さま 1口
蓮井愛渚さま
蓮井里渚さま
木村美香さま
武井伊織さま
前田 侑さま 2口
赤松未枝子さま 2口
橋本卓也 1口
岸 達也さま 3口
牟礼し(糸糸)津子さま
高橋司枝さま
御城俊宏さま 10口
小川 凛さま
野崎千恵さま 5口
別所治親さま
別所千尋さま
蓮井隼介さま
新和開発さま 10口
香川がん患者おしゃべり会さま 5口
ノイリー・プラットさま 1口
高地正人さま 1口
池田靖夫さま 1口
増田裕司さま 3口
多田裕彦さま 5口
たみ家さま 1口
金澤賢治さま 5口
ペンペンさま 3口(追加義捐金)
受付順、56名(匿名希望の方を含む)
★ご協力いただいた方々
宗家くつわ堂さま(瓦せんべい)
原ヲビヤ園さま(茶碗、水屋道具一式貸与、義捐金)
三友堂さま(机貸し出し、お菓子割引)
フェアトレードコーヒーhalqaさま(コーヒー豆1キロ)
中條文化振興財団さま(銘銘盆貸与)
セカンドステージ薮内さま(差し入れシフォンケーキ)
NHK高松放送局さま(事前告知・取材・ニュース)
FMたかまつD杉ノ内由紀さん(取材・事前告知・ニュース)
★★義捐茶売り上げ+義捐金=174,230円
★★★
当日サポートしてくれた人たち
るいまま(告知・準備・種々声かけ)
るみるみ(コーヒーミルレスキュー調達)
てるちゃん(エールみらい:オリーブの木、看板用コンパネ調達、ハーブティ寄付、お菓子寄付誘致)
増田祐司(看板用コンパネ・軽トラ搬送)
みっけ(義捐金受付仕切り)
ぽんちゃん(大道具運搬、ほか)
ぴよだんな(コーヒーブース設置、シフォンケーキ寄付)
となきち(街頭での呼びかけ)
ほのきち(街頭での呼びかけ)
じゅんじゅんさん
御城さん
かいとくん
(当日はバタバタしていたため、お名前を聞き損ねた人がいます。抜けている方がいることを気付いた方、教えてください)
この、みなさまの思いがいっぱいつまった、174,230円を持って、明日(本日)四国新聞(日本赤十字社)に行って寄付手続きをしてまいります。
なお、
血屋敷井戸の詳細については、この井戸の復元に情熱を注ぎ続けらている築港万次郎さんのこちらのHPをご参照ください。
また、小説源内コードには、この血屋敷井戸にまつわるエピソードが鏤められています。是非ご一読を!
生駒家の家紋と築城の天才といわれた黒田如水の家紋の刻まれた石が組み込まれた「血屋敷井戸」。
この井戸の命名の理由や、井戸の存在理由等には、諸説あると思います。
このHPで紹介されている築港万さんの説には、「ええっ?」と驚くようなことや、「飛躍しすぎでは?」と感じる部分がいくつかあります。
が、私は、一度壊されてバラバラの石になっていた血屋敷井戸の復元が高松のまちを幸せにすると信じて、その復元への説得作業に人生の多くの時間を捧げている築港万さんの説を尊重し、讃岐の民を愛して守るためにこの井戸を作った生駒親正候の、この大切な遺跡の御霊が喜ぶことに、これからも井戸を活用させていただきたいと思っています。
今回、告知から始まって、準備、当日不足品調達、受付、お茶点て、茶碗洗い、コーヒー、ハーブティ、お菓子調達、お茶調達などを支えてくださったるいままと手伝ってくれた皆さんのこと、また、本日の様子については、こちらに詳しく紹介していただいていますので、ご参照ください。
この井戸の復元が完了した3月13日(日)に、築港万さんの依頼で、中條財団のゴッドマザーと、武者小路千家のお茶の普及に尽力されている大内さんのご協力を得て、井戸の復元を記念した供茶をいたしました。
供茶が無事終わった後、地震の報道で、テレビで町の半分の人たちが津波でいなくなってしまったところの町長さんが、被災時の様子を生々しく話された後、「何か全国のみなさんにおっしゃりたいことは?」と聞かれ、「とにかく、水と食料を・・・」と言いかけて、それまでは気丈にお話していたのに、言葉が詰まって後が続かなくなってしまった映像を見て涙が込み上げてきました。そして、自分にいったいなにができるんだろうと、考え始めました。
復元記念供茶でいただいた水屋見舞の15000円を義捐金に寄付しようかと考えたけれど、もうちょっと考えて、せっかくなら、東北の人たちを助けたいと思っている高松市民はほかにもいるんじゃないか、そんな人たちと、応援したい気持ちをわかちあえる方法があるんじゃないかと思い、ここまで考えたときにに、「義捐金茶会」を思いつきました。
いただいた15000円を原資にして、お茶とお菓子を買って、あの井戸でお茶を点て、お客さまからは500円をいただいて、その売上金を寄付しようと。15000円から少しでも増えてたらいい、と。
お茶というのは、不思議な媒体で、人を「あ、あそこまでお茶が飲めるなら行こう」という原動力にもなることがあり、人と人をつなげる触媒にもなる、疲れた人を慰める暖かさにもなります。どうか、「お茶」が、被災した人が、明日からちょっとでも笑っていられる、日本中のみんなが応援していることを知って勇気を持ってもらえる媒体になりますように、と願って、20日の井戸の使用許可をもらって、水曜日に実施を決めました。
思いついたときには、誰にも手伝いを頼んでいなかったので、私がお茶を点てて、築港万さんがお茶碗洗いを手伝ってもらって、井戸の説明をしたり、、お菓子とのセットはセルフで、、なんてこじんまりした「茶会」を想定していました。
そして、自分の周りの人に少しずつメールをしました。
ところが、これをキャッチしたるいままがすかさず反応してくれて、まず「いくよ」「手伝いはおるん?」「茶碗はあるん?」というメールから始まって、あっという間にあのギガ拡散装置で紹介してくれました。
メールで少しずつ案内を送った翌日にはNHKさんやFMの取材があり、言い出した私が取り残され感を感じるほと、精力的に告知に尽力してくれました。(お陰さまで「テレビを見てきた」という人も何人かとラジオを聴いてきたという人もたくさんおられました。)
水屋と受付とカフェ、お茶ブースは、るいまま組、てるちゃんs、ほか合計10人あまりの人が手伝いに来てくれて、最後まで茶会を司っていただきました。そして、最後は、せとちとせさんのライブで、しめくくることができました。
貴重な日曜日を茶会に使ってくださった100人近くの人、義捐金や義捐品をくださった56人(武者小路千家高畠先生社中の方を多く含む)と、長時間立ちっぱなしで茶会を手伝ってくれた10人以上のボランティア、そして、せとちとせさんの魂の歌のお陰で、このおどろおどろしい名前の血屋敷井戸跡が、とても暖かな、光が溢れるような、ずっと座っていたい、気持ちのいい場所になったと感じました。
ここに、今回茶会に関わってくれた、すべての方に、心から、感謝します。
ありがとうございました。

ブログを観て来てくださった方、声を掛けさせてくださって当日、分からない~といって連絡をくれた方
、皆さまの気持ちを詰め込んだ義損金を大切に届けさせていただきます。
そして
今回のお話をさせていただき、快くお菓子を提供してくださった、
『宗家くつわ堂』の田村さま
本当にありがとうございました。
今回の、義損金茶会の言い出しっぺの”マロン”ちゃんからのブログを張り付けさせていただきますね。
以下
******************************************
このブログで告知いたしました、20日開催の、血屋敷井戸義捐金茶会について、お約束により、これよりご報告申し上げます。
まずは義捐金と寄付してくださった人の情報から。
★義捐茶(抹茶、コーヒー、ハーブティ) 売り上げ金 49,500円が集まりました。
★義捐金は、以下の方々のご芳志により 124,730円が集まりました。
小川将信さま 10口
石川由美さま 1口
蓮井愛渚さま
蓮井里渚さま
木村美香さま
武井伊織さま
前田 侑さま 2口
赤松未枝子さま 2口
橋本卓也 1口
岸 達也さま 3口
牟礼し(糸糸)津子さま
高橋司枝さま
御城俊宏さま 10口
小川 凛さま
野崎千恵さま 5口
別所治親さま
別所千尋さま
蓮井隼介さま
新和開発さま 10口
香川がん患者おしゃべり会さま 5口
ノイリー・プラットさま 1口
高地正人さま 1口
池田靖夫さま 1口
増田裕司さま 3口
多田裕彦さま 5口
たみ家さま 1口
金澤賢治さま 5口
ペンペンさま 3口(追加義捐金)
受付順、56名(匿名希望の方を含む)
★ご協力いただいた方々
宗家くつわ堂さま(瓦せんべい)
原ヲビヤ園さま(茶碗、水屋道具一式貸与、義捐金)
三友堂さま(机貸し出し、お菓子割引)
フェアトレードコーヒーhalqaさま(コーヒー豆1キロ)
中條文化振興財団さま(銘銘盆貸与)
セカンドステージ薮内さま(差し入れシフォンケーキ)
NHK高松放送局さま(事前告知・取材・ニュース)
FMたかまつD杉ノ内由紀さん(取材・事前告知・ニュース)
★★義捐茶売り上げ+義捐金=174,230円
★★★
当日サポートしてくれた人たち
るいまま(告知・準備・種々声かけ)
るみるみ(コーヒーミルレスキュー調達)
てるちゃん(エールみらい:オリーブの木、看板用コンパネ調達、ハーブティ寄付、お菓子寄付誘致)
増田祐司(看板用コンパネ・軽トラ搬送)
みっけ(義捐金受付仕切り)
ぽんちゃん(大道具運搬、ほか)
ぴよだんな(コーヒーブース設置、シフォンケーキ寄付)
となきち(街頭での呼びかけ)
ほのきち(街頭での呼びかけ)
じゅんじゅんさん
御城さん
かいとくん
(当日はバタバタしていたため、お名前を聞き損ねた人がいます。抜けている方がいることを気付いた方、教えてください)
この、みなさまの思いがいっぱいつまった、174,230円を持って、明日(本日)四国新聞(日本赤十字社)に行って寄付手続きをしてまいります。
なお、
血屋敷井戸の詳細については、この井戸の復元に情熱を注ぎ続けらている築港万次郎さんのこちらのHPをご参照ください。
また、小説源内コードには、この血屋敷井戸にまつわるエピソードが鏤められています。是非ご一読を!
生駒家の家紋と築城の天才といわれた黒田如水の家紋の刻まれた石が組み込まれた「血屋敷井戸」。
この井戸の命名の理由や、井戸の存在理由等には、諸説あると思います。
このHPで紹介されている築港万さんの説には、「ええっ?」と驚くようなことや、「飛躍しすぎでは?」と感じる部分がいくつかあります。
が、私は、一度壊されてバラバラの石になっていた血屋敷井戸の復元が高松のまちを幸せにすると信じて、その復元への説得作業に人生の多くの時間を捧げている築港万さんの説を尊重し、讃岐の民を愛して守るためにこの井戸を作った生駒親正候の、この大切な遺跡の御霊が喜ぶことに、これからも井戸を活用させていただきたいと思っています。
今回、告知から始まって、準備、当日不足品調達、受付、お茶点て、茶碗洗い、コーヒー、ハーブティ、お菓子調達、お茶調達などを支えてくださったるいままと手伝ってくれた皆さんのこと、また、本日の様子については、こちらに詳しく紹介していただいていますので、ご参照ください。
この井戸の復元が完了した3月13日(日)に、築港万さんの依頼で、中條財団のゴッドマザーと、武者小路千家のお茶の普及に尽力されている大内さんのご協力を得て、井戸の復元を記念した供茶をいたしました。
供茶が無事終わった後、地震の報道で、テレビで町の半分の人たちが津波でいなくなってしまったところの町長さんが、被災時の様子を生々しく話された後、「何か全国のみなさんにおっしゃりたいことは?」と聞かれ、「とにかく、水と食料を・・・」と言いかけて、それまでは気丈にお話していたのに、言葉が詰まって後が続かなくなってしまった映像を見て涙が込み上げてきました。そして、自分にいったいなにができるんだろうと、考え始めました。
復元記念供茶でいただいた水屋見舞の15000円を義捐金に寄付しようかと考えたけれど、もうちょっと考えて、せっかくなら、東北の人たちを助けたいと思っている高松市民はほかにもいるんじゃないか、そんな人たちと、応援したい気持ちをわかちあえる方法があるんじゃないかと思い、ここまで考えたときにに、「義捐金茶会」を思いつきました。
いただいた15000円を原資にして、お茶とお菓子を買って、あの井戸でお茶を点て、お客さまからは500円をいただいて、その売上金を寄付しようと。15000円から少しでも増えてたらいい、と。
お茶というのは、不思議な媒体で、人を「あ、あそこまでお茶が飲めるなら行こう」という原動力にもなることがあり、人と人をつなげる触媒にもなる、疲れた人を慰める暖かさにもなります。どうか、「お茶」が、被災した人が、明日からちょっとでも笑っていられる、日本中のみんなが応援していることを知って勇気を持ってもらえる媒体になりますように、と願って、20日の井戸の使用許可をもらって、水曜日に実施を決めました。
思いついたときには、誰にも手伝いを頼んでいなかったので、私がお茶を点てて、築港万さんがお茶碗洗いを手伝ってもらって、井戸の説明をしたり、、お菓子とのセットはセルフで、、なんてこじんまりした「茶会」を想定していました。
そして、自分の周りの人に少しずつメールをしました。
ところが、これをキャッチしたるいままがすかさず反応してくれて、まず「いくよ」「手伝いはおるん?」「茶碗はあるん?」というメールから始まって、あっという間にあのギガ拡散装置で紹介してくれました。
メールで少しずつ案内を送った翌日にはNHKさんやFMの取材があり、言い出した私が取り残され感を感じるほと、精力的に告知に尽力してくれました。(お陰さまで「テレビを見てきた」という人も何人かとラジオを聴いてきたという人もたくさんおられました。)
水屋と受付とカフェ、お茶ブースは、るいまま組、てるちゃんs、ほか合計10人あまりの人が手伝いに来てくれて、最後まで茶会を司っていただきました。そして、最後は、せとちとせさんのライブで、しめくくることができました。
貴重な日曜日を茶会に使ってくださった100人近くの人、義捐金や義捐品をくださった56人(武者小路千家高畠先生社中の方を多く含む)と、長時間立ちっぱなしで茶会を手伝ってくれた10人以上のボランティア、そして、せとちとせさんの魂の歌のお陰で、このおどろおどろしい名前の血屋敷井戸跡が、とても暖かな、光が溢れるような、ずっと座っていたい、気持ちのいい場所になったと感じました。
ここに、今回茶会に関わってくれた、すべての方に、心から、感謝します。
ありがとうございました。
